オタクの流行に乗れなくて(ちょっと)辛いという話

言うほど辛くはないです。 昔からなんとなく流行に乗るというのが苦手で、結果的に周りといまいち話が合わせられなかったりしてちょっとした疎外感を感じたりしている。 という話をすると「オタクは大体そんなもんだろ」と思われるかもしれないが、自分の場合は「オタクコミュニティの中でも流行に乗れない」という話です。 アニメを見るのが苦手 オタクと言えばアニメ。オタクとされる人は大体何かしらのアニメを毎クール見ている。(少なくとも、自分の周りでは) 自分はそんなアニメを見るのが苦手だ。というか、アニメを見ること自体は嫌いではないが、「放映中のアニメを毎週追う」というのが苦手である。 例えば今期なんかだと自分の周りのオタクは「スローループ」を見て毎週萌え散らかしているが、そうした輪に入れなくてちょっとした疎外感を感じている。特にアニメは毎週同タイミングで皆が実況しているので、なんとなく疎外感を感じやすい。 じゃあ自分も見ればいいじゃないかという話なのだが、どうにも「毎週決まった時間に30分間アニメを見る」という行為に苦手意識がある。見るなら好きな時間に好きなだけ見たいので、時間を決められてかつ細切れに提供されるというのが性に合わない。なので、過去のアニメを自分の好きなタイミングで一気見するのは苦痛に感じない。 周りと趣味が合わない 自分のオタク趣味と言えるのは「音ゲー」と「エロゲ」、あとたまに「漫画」くらいで、これはどれも一人で好きなタイミングで好きにできるようなコンテンツばかり。 音ゲーはいまいち周りは誰もやっていないし、エロゲもほとんど誰もやっていなかったり、やっていてもいまいち趣味が合わなかったりする。漫画もなんとなくマイナーなものばかり読んでいるせいで話が合わない。 音ゲーはおいそれと勧められるような趣味でもないし、エロゲもプレイ時間が長いので勧めてもなかなかやってくれない。漫画も微妙に拗らせた趣味をしているせいで勧めても微妙な反応をされる事が多い。 こうした状況から、他人と何かのコンテンツについて熱く語り合ったという経験がほとんど無い。 そもそも流行を自ら避けている節もある 卵が先が鳥が先かというような話だが、そもそも流行を自ら避けているような節もある。 自分が見るコンテンツは自分の意思で決めたい 流行っているものに対して「皆が良いと言ってるのなら、別に自分がわざわざ見なくても良いな」と思ってしまう どうせ見るのなら周りが見ていないような物を見るほうが面白い たまに「流行る物は良いコンテンツなんだから、流行というだけで否定して見ないのは損だ」みたいな論調も見かけるが、そもそも「良いコンテンツを追うこと=正義」という価値観自体が画一的でつまらないよなと思ってしまう。別にそういうスタンスでコンテンツを追う事を否定はしないが、その価値観を他人に押し付けるのは辞めて欲しい。 とは言えたまにどうしようもなく寂しさを感じる事がある このように自ら進んで人の居ない方向へ進んでいるのにも関わらず、時折無性に寂しさや虚しさを感じてしまう事もある。多分世間一般(オタク以外も含む)で見れば孤独への耐性は遥かに高い方だと思うが、とくに年齢を重ねるごとにこうした考えが過ることが多くなってきた。また、こんな事を考えてしまう自分自身の人間としての脆弱性にも少し嫌気が差してしまう。 ただただ自分の信じるコンテンツを無心に追い続けるだけで生きていければ良かったのだが、若い頃の自分が想像していたよりも人間というのは弱い生き物だったんだろうなと感じる。 コミュニティに所属することの難しさ ここまで書いてきたのは「周りと話が合わない」という観点だが、見方を変えるなら「話が合うコミュニティに所属すれば良い」と考えることもできる。 しかし、この歳になって今のインターネットで新たなコミュニティへ所属することへの抵抗感は強い。現に今友人と言えるような人たちは大学時代のサークルメンバーとTwitter黎明期にネット上で知り合ったような人たちだけで、もうここ4,5年くらい新たな人間関係を構築するような事はしていない。 なんとなく物分りの良さそうな人だけがTwitterをやっていたような時代ならまだしも、今のTwitterで無闇矢鱈に繋がりを増やす気には正直なれない。かといって既存のコミュニティに入って馴染むのはなかなか難易度が高いように思える。 今後どうすれば良いのか いまいちまとまらない話をしてしまったが、こうした問題を解決するためにこのブログを始めたという節もある。いきなり関係性を構築するのは難しくても、自分の考えをこうしてネット上にひっそりと発信していく事で、共感を覚えた人や価値観を同じくする人達といつかゆるく繋がることができればと思っている。

2022/01/24